歌川広重筆『東海道五拾三次』(東京国立博物館所蔵)
「ColBase」収録
2021年度の共通テスト日本史B本試験のうち、正答率60%未満の難問を分析します。今回は第1問〜第3問です。
例年との違いは第1問のテーマ史に難問が多かったことです。センター試験では第1問は比較的正答率が高い、受験生が取り組みやすい問題でした。また、資料問題に難問が少ないのも印象的です。高得点を取るのに必要なのは資料問題の攻略ではありません。
受験生は問題を解いた後で、この記事を読んでもらえば、間違った問題をチェックする際の参考になるでしょう。2021年度共通テスト日本史Bの講評と勉強方法は別の記事でまとめています。
第1問 テーマ史
問題番号1
問1 咲也さんのメモに基づく次の文X・Yと,それに最も深く関連する8世紀前半の法令 a〜dとの組合わせとして正しいものを,下の①〜④のうちか一つ選べ。
X 国家は自ら鋳造した銭貨しか流通を認めなかった。
Y 国家が発行した銭貨は,様々な財政支出に用いられた。8世紀前半の法令
a 運脚は銭貨を持参して,道中の食料を購入しなさい。
b 私に銭貨を鋳造する人は死刑とする。
c 従六位以下で,銭を10貫以上蓄えた人には,位を一階進める。
d 禄の支給法を定める。(中略)五位には絁4匹,銭200文を支給する。① X-a Y-c ② X-a Y-d
③ X-b Y-c ④ X-b Y-d
※「メモ」は省略
解答④
解説
Xに関して、aは、銭貨を鋳造する主体が国家か、その他かということは関係ない。それに対し、bは、国家が鋳造した貨幣しか認められないとすれば、それ以外が発行した場合の罰則規定なので、Xの内容と関連すると考えることができる。
Yに関して、cは、国家の財政支出とは関係ない。教科書にも出てくる蓄銭叙位令の内容で、銭貨の流通促進をはかったものである。dは、官人の禄(給与のこと)に関する規定で、官人の給与は国家の財政支出なので関連する選択肢である。
分析
正答率は6割弱です。誤答は②③④それぞれ1割強で分散しています。
2018年の試行調査でも出題されていましたが、文と文の組合せ問題は共通テストで出題されるようになった新しいタイプの問題の一つです。難問ではないと思いますが、この設問ができなかった受験生は、出題の意図がつかめなかったのかもしれません。このようなタイプの問題が今後増えるのでしょうか。
問題番号3
問3 下線部(b)に関連して,中世の流通・経済に関して述べた次の文X・Yについて,その 正誤の組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
X 戦国大名だけでなく,室町幕府も撰銭令を出した。
Y 明との貿易をめぐり,細川氏と大内氏が寧波で争った。① X-正 Y-正 ② X-正 Y-誤
③ X-誤 Y-正 ④ X-誤 Y-誤
解答①
解説
X・Yともに正文。
Yは、寧波の乱(1523)の内容である。
分析
正答率は4割強です。
センター試験でも、比較的正答率が低かった2文の正誤問題です。特に「X-正 Y-正」が解答になると正答率が下がります。このタイプの問題は1文ずつの正誤判断をしないといけないので、4文の正誤問題に比べると難問となります。
この問題は従来のセンターと同様、知識による内容判定の問題です。共通テストにおいても、知識が必要なことがわかります。
誤答が極端に③に偏ります。つまりXを誤文だと考えた受験生が多いということです。確かに撰銭令といえば、戦国大名の経済政策というイメージが強いと思います。しかし、教科書を見てみると、しっかり書いてあります。普段の学習からしっかり教科書を読み込んでおくことが必要です。
「…そのため幕府・戦国大名などは悪銭と精銭の混入比率を決めたり,一定の悪銭の流通を禁止するかわりに,それ以外の銭の流通を強制する撰銭令をしばしば発布した。」
(山川出版社『詳説日本史』2018年版)
問題番号5
問5 下線部(d)に関連して,円が貨幣単位となった後の明治期に関して述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①〜⑥のうちから一つ選べ。
Ⅰ 銀との交換を保証する紙幣が発行され,銀本位制が確立した。
Ⅱ 対外戦争の賠償金により,欧米と同じく,金本位制が確立した。
Ⅲ 戦費調達のため,多額の不換紙幣が発行された。① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
解答⑤
解説
事項が「何年代」のできごとかを考えればよい。
Ⅰの銀本位制は1880年代の松方財政のもとで、確立した。
Ⅱの金本位制の確立は、1890年代、日清戦争の賠償金を利用して確立した。具体的には1897年に制定された貨幣法による。
Ⅲの「戦費」は1870年代後半の西南戦争のものと考えればよい。戊辰戦争(1868〜69)を想起しても正解はでる。
分析
正答率は4割程度です。
受験生が最も苦手とする年代順配列問題です。内容だけでなく、出題形式にも着目してください。受験生が苦手なのは、「時期の判断」が求められる問題です。
いずれにせよ、兌換制度の成立過程を理解していればできる問題です。誤答は②に偏っています。Ⅲの「戦費調達」が何を指しているか、想起できなかったのでしょうか。
年代順配列問題ができない受験生は、センター試験と同様、共通テストでも90点以上の高得点はとれません。
問題番号6
問6 博物館での学習を終えて,貨幣史の学習のまとめを進めていた咲也さんと花さんは,海外の図書館がインターネット上で,次ページ図3のような資料を公開していることを知った。その内容を先生に質問したところ,先生も興味をもち,次ページのような解説文をまとめてくれた。この解説文も踏まえて,日本の貨幣に関して述べた次の文a〜dについて,正しいものの組合せを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
a 中世には,銭貨として中国銭が流通したため,私鋳銭は使われなかった。
b 近世には,寛永通宝が大量に鋳造され,流通するようになった。
c 図3の事件の際,日本国内で旧円の旧紙幣が流通を禁止されていたのは,金融緊急措置令が公布されたためであった。
d 図3の事件の際,日本では1ドル=360円の単一為替レートが採用されていた。① a・c ② a・d
③ b・c ④ b・d図3 『ジアリオ・ダ・ノイテ紙(サンパウロ版)』1947年5月3日
解説文
ブラジルの詐欺事件で,日系移民の犯人が捕まったことを報じる記事。ブラジルには,1945年の敗戦後も,日本の敗戦を信じない日系移民が大勢いた。彼らに対し,「帰国用の迎えの船が来るから,日本の円が必要だ」とだまし,日本では1946年には新円切り替えにより流通が禁止されていた旧円の旧紙幣を高額で売りつけ,ブラジルの貨幣を入手する詐欺事件が起きていた。当時の日系移民たちが直面していた厳しい状況にも目を向けてみよう。
※図は省略
解答③
解説
aは誤文。室町時代以降、貨幣流通が増大するとともに、中国銭に加え、私鋳銭が流通した。
bは正文。
cは正文。「1946年には新円切り替えにより流通が禁止されていた旧円の旧紙幣」から金融緊急措置令が想起できればよい。
dは誤文。1ドル=360円の単一為替レートが設定されたのは、占領政策が転換され、ドッジ=ラインを実施した1949年のことである。
分析
正答率は5割程度です。
資料読解問題ですが、a・bの判断は完全に知識で、図3と解説文は正誤の判断に関係ありません。
誤答は④に偏っており、金融緊急措置令がわかっていない受験生が多かったのでしょうか。知識で解答できる問題ではないかと思います。
それとも、図3の「1947年」という西暦年から、時期の判断をしないといけなかったのがキツかったのでしょうか。1ドル=360円の単一為替レートはドッジ=ラインが実施される1949年からです。ただし、西暦年を考えるとすれば細かい問題になりますね。
第2問 原始・古代
問題番号7
問1 Aさんは下線部(a)に関して,東アジア諸国の位置関係を把握しておくことが必要であると考えた。そこで,1世紀,3世紀,5世紀における中国王朝の領域が示された地図のⅠ〜Ⅲを用意した(模様のある部分が中国王朝の領域である)。この地図Ⅰ〜Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の①〜⑥のうちから一つ選べ。
① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
解答⑤
解説
設問文に「1世紀,3世紀,5世紀における中国王朝の領域」という設定があり、それを前提に地図から王朝名と時期を考える。
Ⅰは、3つに分かれていることから魏・蜀・呉の三国時代とわかる。3世紀のこと。
Ⅱは、2つに分かれていることから北魏・宋に分かれていた5世紀とわかる。
Ⅲは、1世紀の後漢である。
分析
正答率は2割台です!今年度の問題で一番の難問です。
記憶の限りでは、センター日本史Bで地図の年代順配列問題は出たことはないと思います。最初に問題を見た時はちょっとびっくりしました。
それほど難しいとは思えないのですが、設問文の「1世紀,3世紀,5世紀」というヒントを見逃した受験生も多いでしょう。また、古代の対外関係は「世紀」で考えるように時期区分をして事項を整理しているでしょうか。前近代における時期判断の難問は「世紀」で処理しなければいけない問題です。
問題番号9
問3 Bさんは下線部(c)の説明に当たって,次の2つの事例を紹介した。これらの事例を踏まえ,7世紀後半の日本における漢字文化の展開とその背景に関して述べた下の文a〜dについて,正しいものの組合せを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
事例1
7世紀後半の木簡に,「移(ヤ)」,「里(ロ)」,「宜(ガ)」など,同時代の中国では既 に使われなくなった漢字音の使用が見られる。事例2
7世紀後半の木簡に見える,倉庫を意味する「椋」という字は,中国では樹木の名を指す字であった。高句麗では倉庫を「桴京」といい,「桴」の木偏と, 「京」を合体させた字が「椋」とされた。この「椋」という字は百済・新羅でも倉庫の意味で用いられていた。a 7世紀後半の日本には,古い時代の中国における漢字文化の影響は見られない。
b 7世紀後半の日本には,朝鮮諸国における漢字文化の影響が見られる。
c 留学から帰国した吉備真備らは,先進的な文化・文物をもたらした。
d 白村江の戦いの後,亡命貴族らが日本に逃れてきた。① a・c ② a・d
③ b・c ④ b・d
解答④
解説
aは誤文。事例1に「同時代の中国では既に使われなくなった漢字音の使用が見られる」とあり、中国の漢字文化の影響は見られないというのは誤りである。
bは正文。「椋」という字が高句麗・百済・新羅でも同じ意味で使われていたという事例2から正しいと判断できる。
cは誤文。吉備真備が遣唐使で留学したのは8世紀であり、7世紀後半ではない。
dは正文。白村江の戦いは7世紀後半である。
分析
正答率は5割程度です。
資料読解問題ですが、c・dの正誤判断は知識です。今年度は資料問題で、読解で選ぶ選択肢と、知識で選ぶ選択肢を組合せた出題が多く見られました。このパターンには注意しておく必要があります。読解だけでも、知識だけでも解けません。問題の特徴を素早く掴む必要があります。
誤答は③に極端に偏ります。a・bの資料読解はできたが、c・dの時期判断ができなかった受験生が多いということです。やはり「世紀」の時期判断は難しいようです。
第3問 中世
問題番号14
問2 下線部(b)に関連して,平安時代末から鎌倉時代の都市と地方の関係について述べた文として誤っているものを,次の①〜④のうちから一つ選べ。
① 伊勢平氏は,伊勢・伊賀を地盤にし,京都でも武士として活躍した。
② 禅文化が東国へも広まり,鎌倉には壮大な六勝寺が造営された。
③ 白河上皇は,熊野詣をしばしば行った。
④ 鎌倉幕府の御家人は,奉公のために京都や鎌倉に赴いた。
解答②
解説
②が誤文。六勝寺は白河天皇が造営した法勝寺をはじめ、院政期に上皇らによって造営された寺院の総称である。京都に造営され、鎌倉に造営されたわけではない。また禅文化と六勝寺は結びつかない。
①③④は正文。
分析
正答率は5割程度です。センター試験と同様の知識問題です。
誤答は①③④に割れています。基本的な知識が不足している受験生が意外に多いようです。六勝寺はセンター日本史Bで頻出であったことを考えると、センター試験の過去問をしっかりやっていればできたはずです。試行調査に引きずられて、資料問題ばかりに意識がいってはいけません。
問題番号16
問4 下線部(d)に関連して,鎌倉時代と室町時代の都市と地方,及び地方間の交流に関して述べた次の文X・Yと,それに該当する語句a〜dとの組合せとして正しいものを,下の①〜④のうちから一つ選べ。
X この人物らが諸国を遍歴したことで,各地に連歌が広まり,地方文化に影響を与えた。
Y 宋や元の影響を受けて,地方で製造された陶器の一つで,流通の発展によって各地に広まった。a 西行 b 宗祇 c 赤絵 d 瀬戸焼
① X-a Y-c ② X-a Y-d
③ X-b Y-c ④ X-b Y-d
解答④
解説
Xは、キーワード「連歌」からbの宗祇とわかる。aの西行は和歌で有名な人物である。
Yは、dの瀬戸焼である。cの赤絵は有田焼の技法なので、近世に入ってから発達したものである。
分析
この問題の正答率は6割弱です。
文化に関する基礎知識の問題ですが、意外に正答率は低いです。「受験生は文化史が苦手」といわれますが、その原因は「文化史は用語を覚えればいい!」ということにある気がします。文化史も「歴史」です。しっかり授業をきいて、政治史などと同じように歴史的なつながりを理解してください。用語も覚えやすくなるでしょう。
誤答は②に偏っているので、西行と宗祇が区別できなかった受験生が多いということでしょう。過去のセンター試験を見ると、西行はやや細かい知識のような気もしますが、室町時代に連歌で活躍した宗祇はしっかり覚えておいてほしい人物です。
今回は2021年度共通テスト日本史Bの第1問〜第3問の難問を紹介しました。第4問〜第6問は別の記事で紹介します。