2018年度のセンター日本史B本試験の難問分析です。「正答率60%未満」を「難問」として分析します。センター日本史を攻略する参考にして下さい。
問題は掲載していますが、設問単位であげているため、そのままでは解けない問題もあるかもしれません。その際は、実際の試験問題を確認してください。
※問題はこちら
→大学入試センター 平成30年度本試験の問題 日本史B
https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00033446.pdf&n=h30+chireki+04nihonshiB.pdf
♦第1問 テーマ史
問2 問題番号2
下線部ⓑに関して、土地制度にかかわる次の図・写真Ⅰ~Ⅳについて述べた文として正しいものを、以下の①~④のうちから一つ選べ。※図版は省略
Ⅰ 東大寺領糞置荘開田図
Ⅱ 伯耆国東郷荘の下地中分図
Ⅲ 検地仕法
Ⅳ 地券
① Ⅰでは、条坊制にもとづく土地区画のための線が引かれている。
② Ⅱでは、荘園領主同士が和解し、幕府の関与のもと下地中分が成立した。
❸ Ⅲでは、奉行が役人や村役人らを監督し、検地を行っている。
④ Ⅳでは、土地所有者・土地面積・収穫高などがそれぞれ記されている。
この問題は6割程度の正答率でしたが、④を選んで間違えた受験生が多かったようです。Ⅳは地租改正の際の地券ですが「収穫高」ではなく「地価」が記載されています。定番の誤文だと思います。2014年にも地租改正の問題が出題されていますが【参考】の問題は、正答率が9割程度だった問題です。Ⅰ~Ⅳで古代から近代まで広く問われると、受験生にとっては難しくなるとようです。これがセンターのテーマ史の特徴なので、時代区分を意識した学習が必要です。
問3 下線部(b)[地租改正]に関して述べた次の文a~dについて、正しいものの組合せを、下の①~④のうちから一つ選べ。
a 地租改正反対一揆がおこり、税率は3%から2.5%に引き下げられた。
b 課税の基準は、地価から収穫量に変更された。
c 所有権を証明できない入会地は、官有地に編入された。
d 納税方法が、金納から物納(米納)に変更された。
❶ a・c ② a・d
③ b・c ④ b・d
問6 問題番号6
下線部ⓔに関連して、次の写真X・Yと、それが設置された場所(境界線・都市)を示した以下の地図上の位置a~dとの組合せとして正しいものを、以下の①~④のうちから一つ選べ。
① X-a Y-c ❷ X-a Y-d
③ X-b Y-c ④ X-b Y-d
この問題は正答率3割程度の超難問です。①を選んだ受験生がなんと6割もいます!Xの樺太の境界線はわかった受験生が多いようですが、Yの場所はわからなかったようです。Yは写真の説明から関東都督府ということがわかります。関東都督府は旅順にあったのでdです。仮に旅順にあった事を知らなくても「関東州の管轄」とあり、関東州は遼東半島にあるので、dと判断できるでしょう。cの奉天を選んだ受験生が多かったのはなぜでしょうか。もしかして説明文の「南満州鉄道株式会社の保護・監督にあたる機関」に引きずられたのでしょうか。でも、満鉄の本社は大連にあり、遼東半島なのでやはりdになります。
近年は中国・朝鮮や東南アジアまで地図で場所を選ぶ問題が出ているので、学習の際にはアジア全体の地図を見ておくことが必要です。
第1問のまとめ
昨年度も第1問は大問全体の正答率が低くなっていました。テーマ史は難問が少なかったように思いますが、近年はテーマ史でも難問が増えています。特に時代をまたぐ問題や、図版を使用した問題に難問が多いので注意が必要です。学習の際には時代区分を意識しておきましょう。
♦第2問 原始・古代
問3 問題番号9
下線部ⓑに関連して、ヤマト政権(倭)と朝鮮半島との関係に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。
Ⅰ 新羅と結んだ筑紫国造磐井が、大規模な反乱を起こした。
Ⅱ 朝鮮半島での立場を有利にするため、倭の五王が中国へ朝貢した。
Ⅲ 朝鮮半島に渡った倭の兵が、好太王(広開土王)に率いられた高句麗の軍隊と交戦した。
① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ❻ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
この問題は3分の1しか正解していませんでした。受験生ができない「年代順配列問題」の形式で、古代の対外関係が出題されています。正答率が低いことは予想できました。特に古墳時代は権力者を軸に整理するのが難しく「世紀」で、時期をおさえておく必要があります。Ⅰは6世紀、Ⅱは5世紀、Ⅲは4世紀です。この時期区分がすぐに頭に浮かばない受験生は、できなかったと思われます。
2015年にも以下のような類題が出題されているので、参考にして下さい。
問6 下線部(e)に関連して、古代の人の移動に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。
Ⅰ 滅亡した百済や高句麗から、多くの人々が移住した。
Ⅱ 渤海との間で、外交使節が往来した。
Ⅲ 朝鮮半島から、五経博士や暦博士・医博士などが交代で派遣された。
① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
❺ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
問4 問題番号10
下線部ⓒに関連して、律令制下の政治の仕組みに関して述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 国政は、太政大臣・左大臣・右大臣・大納言などの会議で審議された。
❷ 官吏養成機関である大学には、郡司の子弟が多く入学した。
③ 官人には位階が与えられ、原則として位階に対応した官職に任じられた。
④ 官庁には、長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)の四等官がおかれた。
この問題は半分ぐらいしかできませんでした。基本的な政治の問題ですが、例年、律令制度に関する問題は正答率が低くなっています。官吏の養成機関である大学は貴族などの子弟、国学は郡司の子弟が入学するという内容について、貴族と郡司を入れ替えて誤文にするというのは定番の正誤問題だと思います。しかし、①を選んだ受験生が3割程度います。何を誤りだと思ったのでしょうか。ちなみに教科書には「行政の運営は,有力諸氏から任命された太政大臣・左大臣・右大臣・大納言などの太政官の公卿による合議によって進められた」(山川出版社・『詳説日本史』)とあります。律令制度については毎年1問程度、出題されているので、しっかり覚えておきましょう。
第2問のまとめ
古代は、対外関係と律令の制度的な面についての設問の正答率が低い傾向があります。今年度の問題でも同様の傾向がありました。特に対外関係については「世紀」による時期区分で、中国や朝鮮半島との関係を考えることができるようにしておきたいです。律令制度については基本事項で、律令の制度的な面を教科書などで理解しつつ、覚えることはしっかり覚えてください。センター日本史Bでは頻出です。
♦第3問 中世~近世初期
問1 問題番号13
…1293年に大地震にみまわれた鎌倉では、余震の続くなかで得宗家の北条貞時が内管領の[ ア ]を殺害している。…
…観応の擾乱では、[ イ ]と高師直の軍事衝突が地震と重なったこともあり、地震の発生を武士の引き起こす政争の前兆と心配する貴族も現れた。
空欄[ ア ][ イ ]に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① ア 三浦泰村 イ 足利尊氏
② ア 三浦泰村 イ 足利直義
③ ア 平頼綱 イ 足利尊氏
❹ ア 平頼綱 イ 足利直義
この問題の正答率は5割程度です。①②を選んだ受験生が4割ほどいて、空欄[ ア ]で間違っています。リード文の「1293年…得宗家の北条貞時が内管領の[ ア ]を殺害している」という部分から、平禅門の乱を想起しなければいけません。一方の三浦泰村といえば、1247年の宝治合戦で北条時頼に滅ぼされています。リード文から事件が想起できなかったのでしょう。
平禅門の乱は【参考】としてあげている2006年の本試験(問題番号14)で、年代順配列問題として出題されています。また、宝治合戦は2004年の本試験(問題番号13)で、同じ空欄補充問題として出題されています。過去問をしっかり復習しておけばできたはずです。
問2 下線部(a)に関連して、鎌倉と京都の間の交渉に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、以下の①~④のうちから一つ選べ。
Ⅰ 『新古今和歌集』が編纂され、鎌倉の将軍のもとに届けられた。
Ⅱ 御成敗式目が制定され、京都の幕府出先機関に送られた。
Ⅲ 鎌倉で平頼綱が滅ぼされ、その知らせが数日のうちに京都に伝わった。
❶ Ⅰ―Ⅱ―Ⅲ ② Ⅰ―Ⅲ―Ⅱ
③ Ⅱ―Ⅰ―Ⅲ ④ Ⅲ―Ⅱ―Ⅰ
問3 問題番号15
下線部ⓑに関連して、朝廷と鎌倉幕府との関係に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。
Ⅰ 幕府は朝廷の監視などを目的に六波羅探題を設置した。
Ⅱ 幕府は皇位の継承について、両統迭立の方針を提案した。
Ⅲ 幕府からの求めにより、皇族がはじめて将軍となった。
① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ❷ Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
難問の定番、年代順配列問題です。5割程度の正答率でした。特に誤答の偏りはなく、わかっていない受験生が適当に解答したのでしょう。内容的にも、鎌倉時代の朝幕関係で十分に整理できていない受験生が多かったと思われます。Ⅱの選択肢の時期が限定しにくかったのではないかと思いますが、教科書の記述を念頭におけば、後醍醐天皇が想起できれば時期が判断できたでしょう。
問6 問題番号18
下線部ⓔに関連して、桃山文化について述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 三味線を伴奏に人形を操る人形浄瑠璃が始まった。
② 城郭内部の障壁画などに濃絵の手法が用いられた。
③ 小歌に節づけをした隆達節が庶民の人気を博した。
❹ 簡素さよりも豪華さをたっとぶ侘茶が大成された。
この問題は6割弱の正答率でした。①の誤答を選んだ受験生が3割程度いました。「簡素さ」「豪華さ」というのを正誤判断の対象にするのはあまりよいとは言えないと思いますが、①を誤文と判断した受験生が意外に多かったようです。おそらく「人形浄瑠璃=近松門左衛門=元禄文化」と覚えている受験生が多かったと推測します。教科書でも、人形浄瑠璃は桃山文化で記述されているので、注意が必要です。
第3問のまとめ
今年度の中世は、6問中3問が正答率6割を切る難問でした。問5・6は確かに難問かなぁ、という気がします。しかし、問1は基本的な政治に関する事項です。しかも、事件と人物を結び付けることができれば解答できました。とはいっても、リード文から事件がわからなければ解答できない問題だったので、事件の経緯を考えずに一問一答的に暗記していた受験生には、難しい問題だったのかもしれません。
♦第4問 近世
問2 問題番号20
下線部ⓐに関連して、近世日本が海外から取り入れた技術・文化に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。
Ⅰ 活字印刷術を用いた天草版(キリシタン版)が出版された。
Ⅱ 亜欧堂田善が、西洋画の技法を用いた作品を描いた。
Ⅲ 幕府は高島秋帆に、西洋砲術の演習を行わせた。
❶ Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
この問題は、年代順配列問題で文化史が問われていて、過去の出題から見ても難問と予想できました。やはり正答率は3割強です。今年度は問題番号18で桃山文化が出題されていましたが、またⅠで桃山文化が出ています。Ⅰ=桃山文化,Ⅱ=宝暦・天明期の文化,Ⅲ=化政文化とすれば簡単に判断できます。
ここで注意しておきたい点が2点あります。まず、江戸時代後期の文化について「宝暦・天明期の文化」と「化政文化」の2つに区分して整理しておく必要があります。これは従来「化政文化(江戸時代後期の文化)」としてまとめられていた内容が、2つの文化区分に分けられたことを意味します。山川出版社『詳説日本史』は近世の文化を「桃山文化」「寛永期の文化」「元禄文化」「宝暦・天明期の文化」「化政文化」の5つに区分しているので、注意が必要です。センター試験もそれを意識したということでしょうか。
次に文化区分とはいいましたが、高島秋帆が山川出版社の『詳説日本史』には出ていません。高島秋帆から学んだ江川太郎左衛門は出ていますが、文化史ではありません。実教出版『日本史B』は天保の改革の項に出ているので、時期を考えることはできるでしょう。【参考】として2014年の問題をあげていますが、似ていますよね。ただし、判断の基準が「桃山文化」・「元禄文化」・「江戸時代後期の文化(宝暦・天明期の文化)」で判断できる問題となっています。
問3 下線部(c)に関連して、近世の印刷物に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。
Ⅰ 宣教師が伝えた活字印刷術によって、天草版(キリシタン版)が作られた。
Ⅱ 『日本永代蔵』などの、浮世草子とよばれる小説が著された。
Ⅲ 喜多川歌麿が、多色刷の浮世絵版画(錦絵)の絵師として活躍した。
❶ Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
問6 問題番号24
下線部ⓓに関連して、江戸時代後期の村社会の変容や、それに対する領主の対応について述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 幕府は関東農村の治安悪化に対応するため、関東取締出役を設置した。
❷ 村役人が百姓の要求を領主に直訴する村方騒動が頻発した。
③ 大坂周辺の綿織物業で、マニュファクチュアが展開した。
④ 荒廃した村落を立て直すため、二宮尊徳が報徳仕法を実施した。
この問題は5割弱の正答率でした。予想できる範囲ですが、村方騒動が理解できていない受験生が多かったと思われます。百姓一揆・打ちこわし・村方騒動・国訴といった江戸時代の民衆運動については、その違いや時期による特徴などを踏まえて、しっかり理解しておきましょう。
第4問のまとめ
近世は例年、難問は少ないのですが、今年度は2問ありました。文化について時期を判断させる問題では、教科書の文化区分にしたがってセンター試験は出題されます。教科書を参考にして文化区分を確認しつつ、文化史は整理しておきましょう。特に山川出版社『詳説日本史』で、江戸時代の文化区分が変更されていることには注意しておきましょう。
♦第5問 近代
問2 問題番号26
下線部ⓐに関連して述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 老中阿部正弘は、幕府の独断で日米和親条約を締結した。
② 孝明天皇の妹和宮が徳川慶喜に嫁いだことは、攘夷派を刺激した。
③ 大老井伊直弼は、坂下門外で水戸浪士らに暗殺された。
❹ 幕府が攘夷実行を約束したことをうけ、長州藩は外国船を砲撃した。
この問題は正答率が4割程度でした。誤答は②と③に分かれています。用語レベルで考えれば、②「和宮-徳川慶喜」が誤り、③「井伊直弼-坂下門外」が誤りと誤文だと簡単に判断できそうに思えますが、覚えていない受験生が多いのでしょう。①の選択肢はわかりにくいですね。ペリー来航に際し、老中阿倍が朝廷に報告して諸大名・旗本に諮問したということから「幕府の独断で」が誤りだ、ということだと思われますが、和親条約を締結したのは「幕府の独断」とも言えますよね。諮問することと、幕府が主導で条約を締結することは別問題で、朝廷や諸大名との合議などの形で条約締結を決定したわけではないのですから…。
問4 問題番号28
下線部ⓒに関連して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。
X 徴兵告諭にもとづき発布された徴兵令は、国民皆兵を原則とした。
Y 徴兵制度は民衆にとって負担となり、血税一揆などの抵抗を生んだ。
❶ X 正 Y 正
② X 正 Y 誤
③ X 誤 Y 正
④ X 誤 Y 誤
この問題は3分の1程度の受験生しかできていません。徴兵令に関する問題で、基本的な内容です。③の誤答を選択した受験生が3分の1程度います。Xを誤文だと考えた受験生が意外に多かったことを示しています。何を誤文だと思ったのでしょうか。推測するに「国民皆兵を原則とした」でしょうか。「免役規定があるから国民皆兵は実現していない」と考えたのでしょう。しかし、徴兵告諭に「全国四民男児二十歳ニ至ル者ハ尽ク兵籍ニ編入シ」とあり、国民皆兵の理念が示されています。つまり「原則とした」のは正しいのです。文章の理解もセンター試験の特徴です。用語の暗記だけでは対応できません。
♦第6問 近代・現代
問3 問題番号31
下線部ⓑに関連して、第一次世界大戦後の民族運動の展開に関して述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
❶ 日本からの独立を求める運動が、朝鮮全土で展開された。
② 韓国の民族運動家によって、伊藤博文が殺害された。
③ 毛沢東の指導のもとに、中国統一をめざす北伐が開始された。
④ 西安事件をきっかけに、第1次国共合作が実現した。
この問題は半分ぐらいの受験生しかできていませんでした。第一次世界大戦以降は対外関係が特に正答率低めに出る傾向があります。なかでも、中国・朝鮮半島の情勢を問われると、特にできないようです。【参考】にあげているように2016年にも類題が出題されています。過去問をしっかり確認していない受験生が多いのでしょう。
問4 下線部(d)に関連して、日本の朝鮮支配に関して述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 初代朝鮮総督には寺内正毅が就任した。
❷ 朝鮮総督府は防穀令を出して、日本内地への米穀移出を禁じた。
③ 三・一独立運動を鎮圧したのち、朝鮮総督府は憲兵警察制度を廃止した。
④ 日中戦争期には、神社参拝や日本語の使用が強制された。
問4 問題番号32
下線部ⓒに関連して、近現代の思想・言論への統制に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。
Ⅰ 東京帝国大学教授の河合栄治郎が、ファシズム批判を理由に休職処分となった。
Ⅱ 日本最初の社会主義政党である社会民主党が安部磯雄らによって結成されたが、直後に解散させられた。
Ⅲ 第1回男子普通選挙で無産政党から当選者が出ると、共産党員が大量検挙され、労働農民党などが解散させられた。
① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ❹ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
この問題の正答率は5割程度でした。年代順配列問題でテーマは社会運動と、受験生が苦手なものが2つ重なっています。大正時代以降の社会運動は頻出テーマですが、過去問の過程で整理できていない受験生が多いようです。しっかり整理しておきましょう。
問6 問題番号34
下線部ⓔに関連して、軍部に対する政党の影響力を防ぐ目的で定められた軍部大臣現役武官制に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。
X 大正政変をうけて成立した内閣において、軍部大臣現役武官制の現役規定が削除された。
Y 五・一五事件直後に成立した内閣において、軍部大臣現役武官制が復活した。
① X 正 Y 正
❷ X 正 Y 誤
③ X 誤 Y 正
④ X 誤 Y 誤
この問題の正答率は4割程度でした。③④を選んだ受験生が合わせて5割弱います。Xを誤文だと考えた受験生が多かったということです。軍部大臣現役武官制は基本事項ですが「大正政変をうけて成立した内閣」が、わからなかったのでしょうか。第1次山本権兵衛内閣です。それがわかったら、もう少しできた受験生は多いのでしょうか。一問一答的に暗記しようとする受験生にはできないでしょう。なぜ山本内閣が「現役規定を削除」したのかを理解しなければ頭には入りません。
また、2013年、2017年にも軍部大臣現役武官制は出題されています。過去問をしっかり復習しておけばできたはずです。
問2 下線部(a)に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。
X この制度は、政党の影響力が軍隊におよぶことを阻む政策の一環として、第2次山県有朋内閣により制定された。
Y この制度は、米騒動直後に成立した政党内閣によって改正され、現役以外の大将・中将からも大臣の任用が可能になった。
① X 正 Y 正
❷ X 正 Y 誤
③ X 誤 Y 正
④ X 誤 Y 誤
問8 下線部(g)に関連して、長州藩出身者が組織した内閣に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。
Ⅰ 寺内正毅内閣が、軍隊を出動させて米騒動を鎮圧した。
Ⅱ 桂太郎内閣が、大逆事件を契機に社会主義者を弾圧した。
Ⅲ 山県有朋内閣が、軍部大臣現役武官制を定めた。
① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ❻ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ
第5問・第6問のまとめ
2018年度は例年に比べると、第5・6問の近現代史で難問が少なめで、特に第6問の正答率が全体的に高めでした。だからといって油断はできません。2018年度は特別だと考えておいた方がいいでしょう。正答率を見る限りでは例年、近現代史で点を落とす受験生が多いのは確かです。
2018年度の分析は以上ですが、全体的に目立ったのは過去に類題が出題されているにもかかわらず、正答率の低い問題です。過去問を解いた後、しっかり復習をしていない受験生が多いのでしょう。「過去に出た問題(内容)は出ない」のではなく「過去に出たものは、また出るかもしれない」と思って学習しましょう。
センター試験攻略のヒントは、センター試験の過去問にあります!