2017年センター日本史B、本試験の分析

2017年度のセンター日本史B本試験の難問分析です。僕の定義する「難問」「正答率60%未満」の問題です。センター日本史を攻略する参考にして下さい。
問題は掲載していますが、参考として設問単位であげたので、そのままでは解けない問題もあるかもしれません。その際はリード文も含めた実際の本試験の問題を確認してください。

♦第1問

問1 問題番号1

…今朝、船は[ ア ]に寄港しました。…江戸時代初めにオランダやイギリスの商館がおかれた地として…。…高麗王朝がモンゴルに服属したあとも、抵抗を続けた[ イ ]の拠点となった島です。…

空欄[ ア ][ イ ]に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① ア 平 戸   イ 按 司
❷ ア 平 戸   イ 三別抄
③ ア 長 崎   イ 按 司
④ ア 長 崎   イ 三別抄

この問題の正答率が低いことは問題を見てすぐにわかりました。正答率は3分の1程度でかなり低かった問題です。誤答も分散しており、まったくわかっていない受験生が多いことがわかります。

[ア]については、「江戸時代初めにオランダやイギリスの商館がおかれた地」という明確なヒントがありますが、空欄の数行あとにヒントがあったことも、難しくしている理由の一つでしょう。例年、近世の対外関係、特にヨーロッパ諸国が出てくると、出来ない受験生が多いので注意が必要です。ただ、平戸は年代順配列問題ではありましたが、2016年の問題番号17で出題されています。

[イ]の三別抄は、山川出版社『詳説日本史』、実教出版『日本史B』ともに脚注にしか説明されていません。やや難易度の高い用語といえるでしょうか。

問2 問題番号2

下線部(a)に関連して、原始・古代から近世の瀬戸内地方について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 縄文時代には、魚群を見張るために高地性集落がつくられた。
② 平安時代には、源経基が海賊らを率いて反乱を起こした。
❸ 室町時代には、主要な港で幕府や寺社などが津料を徴収した。
④ 江戸時代には、堤を築いて潮の干満を利用する揚浜の塩田が普及した。

半分ぐらいの受験生しかできていません。③が正文ですが、誤文だと判断した受験生は「寺社」に引っかかったのでしょうか。室町幕府が関銭や津料を徴収していたことは教科書に書いてありますが、寺社については触れていません。誤答として3分の1ぐらいの受験生が④を選んでいます。文章は入浜塩田の説明です。2014年の問題番号20で「瀬戸内海沿岸を中心に、入浜式塩田(入浜塩田)が発達した。」という選択肢が正文で出題されています。過去問を解いた後の復習をしていれば、間違う問題ではありません

問3 問題番号3

下線部(b)に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

X 留学生として隋に渡った高向玄理は、帰国後に国博士に任じられた。
Y 中国から渡ってきた僧の隠元隆起(隠元)によって、日本に黄檗宗が伝えられた。

❶ X 正 Y 正 ② X 正 Y 誤
③ X 誤 Y 正 ④ X 誤 Y 誤

この問題も半分弱ぐらいの受験生しかできていません。Yの隠元の知識がない受験生が多かったのかとも思いましたが、Xを誤文と判断している受験生も少なくなくありません。基礎的な用語しか出ていないので知識の確認が重要です。2文の正誤問題、特に解答が「X 正  Y 正」となる問題は難問のようです。高得点を取るためには、このタイプの問題が解けないといけません。

問5 問題番号5

※図版は省略

下線部(c)に関連して、Tが見た次の写真Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

Ⅰ 船で舞鶴へ到着した大陸からの復員軍人や引揚げ者たち
Ⅱ 満州・内蒙古の開拓への参加を青少年に訴えるポスター
Ⅲ 宣戦布告後、日本海航行に関して出された電報 ※(電報文の内容)に「露艦」とあり

① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ❻ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

半分ぐらいの受験生しかできていませんでした。やはり年代順配列問題は差がつく問題です。正答率のデータを見ると、ⅠとⅡの順番で迷った受験生は少なかったようです。ただ、誤答で④を選んだ受験生が3分の1強です。Ⅲの図版中の史料の内容は活字になっており、「露艦」というのが見られるので、日露戦争中のことだと明らかなのですが、Ⅲの文章の「宣戦布告」を日中戦争やアジア太平洋戦争と読み違ったのでしょうか?

第1問のまとめ

今年は例年と違って、第1問のテーマ史に難問が多く、受験生も戸惑ったのではないでしょうか。今後は今まで以上に指導要領にある「時代ごとに区切らない主題を設定」した問題(問題番号2の瀬戸内地方、問題番号6の交通や通信)が出題されるので注意が必要です。テーマ史の学習をするのではなく、時期区分をしっかりして歴史用語を整理しておく必要があります。

♦第2問

問1 問題番号7

…6世紀末には[ ア ]氏が飛鳥寺(法興寺)を建立し、…。…仏教が地方社会に浸透していくうえでの一つの拠点となったのは、律令制下で[ イ ]として地方行政を担うことになる地方豪族が建てた寺院であった。

空欄[ ア ][ イ ]に入る語句の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① ア 大 伴   イ 国 司
② ア 大 伴   イ 郡 司
③ ア 蘇 我   イ 国 司
❹ ア 蘇 我   イ 郡 司

この問題は半分強の受験生しかできませんでした。「なぜ?」と驚きませんか。さらに誤答は③に偏っていて、半分弱ぐらいの受験生が選択しています。国司と郡司で間違っているのです。知識がなかったのではなく、リード文を読めていないのではないかと推測しています。ヒントは問題番号1と同様、空欄の後に「地方行政を担うことになる地方豪族」とあります。もしリード文の読み損ないであるなら、しっかりリード文を読もう!としか言えませんが。

問4 問題番号10

下線部(c)に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

Ⅰ 造都を主導していた藤原種継が暗殺され、早良親王が首謀者として処罰された。
Ⅱ 三筆の一人として知られる橘逸勢が、謀反を企てたとして流罪となった。
Ⅲ 政権を批判して九州で反乱を起こした藤原広嗣が敗死した。

① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
❺ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

半分以下の受験生しかできていませんでした。年代順配列だから…と言いたいところですが、文章を見ると、Ⅰは藤原種継暗殺事件、Ⅲは藤原広嗣の乱と人物名がそのまま事件名になります。Ⅱは橘逸勢から承和の変を想起しなければならず、少しハードルが上がりますが、いずれも基本的な事件に関する問題にもかかわらず正答率が低かったといえます。ちなみに正答率データを見ると、Ⅱよりも、ⅠとⅢで迷った受験生が多かったようです。
以下の問題の正答率が60%未満であったことを考えると、政治史だからといってバカにできないのがわかります。

【参考】2016年 問題番号9

下線部(b)[藤原氏の氏長者]に関連して、平安時代の藤原氏について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 冬嗣は桓武天皇から蔵人頭に任じられ、のちの摂関家の基礎を築いた。
❷ 良房は他氏を退けるとともに、臣下ではじめて摂政の任についた。
③ 忠平は醍醐・村上両天皇の摂政・関白となって実権を握った。
④ 頼長は源義朝と結んで平治の乱を起こしたが、平氏に討たれた。

問6 問題番号12

下線部(e)に関連して、9・10世紀の地方支配に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

X 9世紀前半には、大宰府管内に公営田が設置され、直営方式による財源の確保がはかられた。
Y 10世紀前半には、荘園整理令が発布され、記録荘園券契所(記録所)が設置された。

① X 正 Y 正 ❷ X 正 Y 誤
③ X 誤 Y 正 ④ X 誤 Y 誤

半分以下の受験生しかできていませんでした。受験生ができない典型的なパターンの問題です。誤答は①に偏っていて、3分の1以上の受験生がYを正文と判断しています。まず、「記録荘園券契所(記録所)」から後三条天皇の延久の荘園整理令だと判断しなければいけません。そのうえで醍醐天皇の延喜の荘園整理令との区別が必要です。ここにハードルが一つあります。そのうえ、延久の荘園整理令が「11世紀後半」ということがわからないとできません。難問です。

ちなみに以下の問題も、正答率5割を切った問題です。誤答として③を選んだ受験生が、なんと!約半数います!

【参考】2011年 問題番号11

下線部(d)に関連して、9~10世紀ころの僧の動向について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 空海は、唐に渡った経験はないものの、唐風の書の名手であった。
② 最澄の弟子円珍は、唐から帰国後、真言宗の密教化を進めた。
③ 9世紀初頭、鑑真が唐から渡来し、日本に戒律を伝えた。
❹ 10世紀半ば、空也が京で浄土教を説いた。

第2問のまとめ

日本史では、歴史事項を時系列に整理していく必要があります。それは年代(西暦年)暗記をすることではなく、ある時代・時期にはどのような特徴があり、前後の時代・時期とはどのように変化したのかを理解することです。センター日本史のレベルではそこまでしなくていいと思っていますか?だからセンター日本史Bの年代順配列問題や時期判定の正誤問題ができないのですよ。時代区分・文化区分・世紀などの「時期区分」を意識して歴史事項を整理してください。

♦第3問

問1 問題番号13

下線部(a)に関して述べた次の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

X 平氏から没収した荘園を含む関東御領は、幕府の経済基盤となった。
Y 守護は、天皇や将軍の御所を警護する京都大番役の催促を職務とした。

① X 正 Y 正 ❷ X 正 Y 誤
③ X 誤 Y 正 ④ X 誤 Y 誤

半分以下の受験生しかできませんでした。しかも、誤答は①に偏っており、3分の1程度の受験生が選択しました。Yは「天皇や将軍の御所を警護する京都大番役」とあり、将軍の警護は鎌倉番役です。基本的な知識問題で、なぜ間違った受験生が多いのかよくわかりません。「将軍」を見落としたとしても、間違った受験生が多すぎる気がします。

問3 問題番号15

下線部(c)に関連して、その前後の出来事に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

Ⅰ 元に建長寺船が派遣された。
Ⅱ 雑訴決断所が設置された。
Ⅲ 北畠親房が『神皇正統記』を著した。

❶ Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ② Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

見るからに正答率が低そうな問題で、確かに3分の1強の受験生しかできていません。年代順配列問題である上に、ⅠからⅢの事項が近接し、さらにⅠ外交、Ⅱ政治、Ⅲ文化と分野がバラバラであり、教科書でも別の項目でまとめられている内容で難問です。ただ、このような問題こそ「時期区分」がしっかり整理できているかが問われます。できなかった受験生は「用語は知っているけれど…」という状態だったのではないでしょうか。

Ⅰは鎌倉時代末期に鎌倉幕府が派遣した貿易船、Ⅱは鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇による建武の新政、Ⅲは建武の新政崩壊後の南北朝の内乱を背景に南朝の立場で書かれた歴史書です。特にⅡ・Ⅲは「高等学校教科担当教員の意見・評価」にもあるように「相互の因果関係」からも前後関係が判断できます。

問6 問題番号18

下線部(e)に関連して、室町時代の対外関係について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

❶ 朝鮮は日本に対し、倭寇の取締りを求めた。
② 足利義持は、朝貢形式をきらって朝鮮との関係を絶った。
③ 日本は書籍や陶磁器を輸出し、中国から刀剣や屛風をおもに輸入した。
④ 水墨画が中国から伝えられ、如拙や藤原隆信らが活躍した。

この問題は半分ぐらいの受験生しかできませんでした。誤答として④を選択した受験生は2割ほどいますが、藤原隆信の名前は知っていたけど、鎌倉文化で出てくる人物だとわからなかったのでしょうか。やや難易度は高いかと思います。ただ、②を選んだ受験生が4分の1ほどいて、少し驚きです。日明勘合貿易の推移と混同しているのでしょうか。鎌倉時代と室町時代の違い、日明貿易と日朝貿易の違いなど、知識を整理する際に「対比」を意識していないからでしょう。

♦第4問

問6 問題番号24

下線部(d)に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

Ⅰ 宝暦事件において、京都で公家に尊王論を説いた竹内式部が追放された。
Ⅱ 藤田東湖・会沢安(正志斎)らが、尊王攘夷論を説いた。
Ⅲ 明和事件で、幕政を批判し尊王論を説いた山県大弐が死罪となった。

① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ❷ Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

江戸時代の尊王論をめぐる問題で、もっと正答率は下がるかと思いましたが、半分ぐらいの受験生ができていました。誤答はバラバラで学習状況の差が出たのでしょうか。一見、難しいのですが、山川出版社『詳説日本史』では宝暦・天明期の文化と化政文化に分かれていますが、実教出版『日本史B』では文化・文政時代としてまとまっています。参考書類でも「尊王論」というテーマでまとめられているでしょう。テーマがはっきりしている年代順配列は比較的解きやすいのです。

第3問、第4問のまとめ

第3問の中世は、対外関係に関連する問題が難問となっていました。第4問の近世は、今年は対外関係の問題が空所補充1つだったからか、難問が年代順配列問題だけでした。中・近世は例年、対外関係に難問が多いので、注意しておきましょう。

♦第5問

問3 問題番号27

下線部(b)[大久保利通]について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 幕末期に、木戸孝允とともに長州藩のなかで実権を握った。
② 岩倉使節団を送り出したあとの国内政治を担当した。
❸ 警察や地方行政などを管轄する内務省を設置した。
④ 西郷隆盛と大阪会議を開き、漸進的な国会開設方針を決めた。

この問題は半分強の受験生しかできていませんでした。誤答で驚いたのは①を選んだ受験生が2割ほどいたことです。大久保利通ですよ!薩摩に決まっているじゃないですか。常識的な知識ではないのですね。近年、内務省を関連させた問題が出題されていますが、意外に正答率は低いです。内務省は2003年、2006年、2010年、2014年の日本史Bの本試験で出題されている頻出事項です。過去問をしっかり確認していればできるはずです。
2010年には以下のような問題が出題されていますが、正答率は50%程度でした。②の誤答が2割程度でした。内務省の管轄がわかっていない受験生が多いのでしょうか。

【参考】2010年 問題番号26

下線部(a)[内務省]に関して述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 内務省は、地方行政をつかさどった。
② 内務省は、警察行政を管轄した。
❸ 初代内務卿には、黒田清隆が就任した。
④ 第二次世界大戦後、GHQの指令により内務省は解体された。

問4 問題番号28

下線部(c)に関連して、明治期の政商や実業家に関して述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

❶ 新政府から特権を得た住友は、三池炭鉱の払い下げを受けた。
② 五代友厚は、開拓使の官有物の払い下げを受けようとした。
③ 岩崎弥太郎は、海運業に参入し、三菱財閥の基礎を築いた。
④ 古川市兵衛は、足尾銅山を取得して、鉱山業を営んだ。

この問題ができた受験生は半分程度で、誤文選択の問題にしては低い正答率した。誤答では④を選んだ受験生が4分の1ほど。足尾鉱毒事件について整理できていない受験生が意外に多いのでしょうか。③の三菱に関しては2015年、2010年にも出題はあり。ただ誤答は少なかったです。官営事業の具体的な払下げ先について、少なくとも2000年以降は出題がなく、教科書でも一覧表になっているだけでやや細かい出題かとも思いました。しかし、三池炭鉱については、高度経済成長期のエネルギー転換を背景とした「三井三池炭鉱争議」もあるので、知っておきたい事項ではあります。
なお、財閥については以下のような出題もあり、注意が必要です。

【参考】2012年 問題番号26

憲法や議会の制度が整えられたこの時期は、同時に経済成長が進んだ時期でもある。(b)1880年代後半から1890年代にかけて、断続的に会社設立ブーム(企業勃興)が起こり、産業革命をむかえた。
下線部(b)に関して述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 民営の鉄道会社がいくつも生まれた。
② 多くの紡績会社が設立された。
❸ コンツェルンの形態による企業の結合が広くみられた。
④ 一部の工業分野で機械制による生産が広まった。

♦第6問

問2 問題番号30

※図版は省略

下線部(a)に関連して、日比谷公会堂で開催された催事に関する次の新聞記事と広告Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

Ⅰ 満州事変二周年記念大会
Ⅱ サイパン奪還国民有志大会
Ⅲ 四党代表立会大演説会 ※「四党」=左派社会党・自由党・右派社会党・改進党

① Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ ❷ Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ
③ Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ ④ Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ
⑤ Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ ⑥ Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

この問題は年代順配列問題でもあり、半分以下の受験生しかできていませんでした。誤答をみると、Ⅲの選択肢を読み違ったのではないかと思われるものが多かったようです。「自由党」「改進党」を自由民権運動~初期議会のころと勘違いしたのでしょうか。写真に「片山哲」の名前があるので、明らかに戦後とわかるでしょう。しっかり図版を確認したいところです。Ⅰの「満州事変」は問題ないでしょう。Ⅱの「サイパン奪還国民有志大会」は一見、細かい知識に思えるかもしれませんが、アジア太平洋戦争時のサイパン島陥落については2008年、2014年に出題されており、また、ミッドウェー海戦についても2014年に出題されています。過去問でわかるようにアジア太平洋戦争の展開は頻出事項です。

問4 問題番号32

下線部(c)に関して述べた次の文X・Yと、それに該当する場所a~dとの組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

X 三菱に払い下げられたこの地の造船所は、大規模造船に取り組み、日清戦争後の造船業を牽引した。
Y 八幡製鉄所は、この地から産出する鉄鉱石を原材料として利用した。

a 兵庫 b 長崎 c 大冶 d 筑豊

① X-a Y-c  ② X-a Y-d
❸ X-b Y-c  ④ X-b Y-d

この問題は半分以下の受験生しかできていませんでした。誤答は④に偏っており、3分の1程度の受験生が選んでいました。Yは鉄鉱石で、中国の大冶鉄山と九州の筑豊炭田の区別もついていない受験生が多いということですね。八幡製鉄所については、以下のように2012年にも出題されており、過去問のチェックができていない受験生が多いことがわかります。

【参考】2012年 問題番号27

下線部(c)で用いられた原燃料に関して述べた次の文a~dについて、正しいものの組合せを、下の①~④のうちから一つ選べ。

a 原料の鉄鉱石は、中国大陸の大冶で採掘されたものを用いた。
b 原料の鉄鉱石は、九州地方の三池で採掘されたものを用いた。
c 燃料の石炭は、中国大陸の大連で採掘されたものを用いた。
d 燃料の石炭は、九州地方の筑豊で採掘されたものを用いた。

① a・c  ❷ a・d
③ b・c  ④ b・d

問5 問題番号33

下線部(d)に関連して、明治期の出版や文化について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 『中央公論』に掲載された民撰議院設立建白書は、自由民権運動が広がるきっかけとなった。
② 新聞紙条例にもとづき、横浜毎日新聞が創刊された。
❸ 北村透谷は『文学界』の誌上で、人間の感情を重視するロマン主義を説いた。
④ 大衆娯楽雑誌として『キング』が創刊され、多くの読者を獲得した。

この問題の正答率は3分の1強でした。誤答は④に偏っていて、3分の1弱の受験生が選んでいました。「大衆」というキーワードから「大正から昭和初期」という時期が想起できないのでしょう。文化の背景を理解していれば、『キング』を知らなくても、大正時代以降と推測でき、誤文だと判断できるのではないでしょうか。文化史を「歴史用語の暗記」として学習していると、センター試験では高得点は望めません
ちなみに③の北村透谷は2005年、2013年にも日本史Bの本試験で出題されています。

第5問、第6問のまとめ

第5問、第6問の近現代史は大問の正答率が60%を切ります。今年はやや難問が少なかった気もします。近現代史は受験生の差がつく問題が多く、攻略しないことには高得点は望めません。早めに学習に取り組んでほしいところです。
また今年は全体的に強調していますが、過去にも出題されている内容にも関わらず、正答率の低い設問が多いことに気づきませんか?過去問を解いてしっかり復習する受験生が多ければ、こんなことにはならないはずです。出題する側は過去に出た問題をくり返し出題しています。過去問の丁寧な見直しがセンター日本史Bの最大の攻略法です。